天使館跡
歴史
中国からの冊封使のための施設
基本情報
- フリガナ
- テンシカンアト
- 所在地
- 900-0034 沖縄県那覇市東町26-1 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- モノレール旭橋駅より徒歩4分
付随情報
- 学術的詳細
- 琉球王朝時代、中国が派遣した冊封使(さっぽうし)(天使)のための施設・宿舎。一般に館屋(クゥワンヤ)と称した。創建年代は不明だが、16世紀前半には確認される。冊封使の渡来は三山(さんざん)時代から1866年まで都合23回を数えた。正・副使以下400~500人が夏から冬の約半年間滞在。崇元寺で故国王を弔い(諭祭)、首里城で新国王を冊封した。国王一世一代の大行事であった。冊封使滞在時の他は、通常その一部が砂糖座(さとうざ)として用いられ、砂糖の収納、薩摩藩への送り出し、砂糖樽の製造が行われた。沖縄県設置の後、1896年には那覇区役所となり、1917年には新庁舎を建てていたが、沖縄戦の前哨となる、1944年10月10日の大空襲で破壊された。
■下天妃宮(シムヌティンピ)
「航海安全の守護神」
航海安全の守護神、天妃(媽祖(まそ))を祀った廟(びょう)。現在石門のみ残る上天妃宮より先の永楽(えいらく)年間(1403年~1424年)の創建とされる。中国から渡来した閩人(びんじん)36姓(せい)の請来(しょうらい)と考えられている。廃藩後の1880年6月には、隣接する那覇里主所(なはさとぬししょ)敷地ともども沖縄小学師範(しはん)学校(後に沖縄県立師範学校)が設置され、廟内の神像はすべて上天妃宮に移された。1886年1月、師範学校が首里に移って後、那覇郵便局となっていた。
■那覇里主所(ナハサトヌシジョ)
「琉球王国の対外窓口として機能した機関」
那覇四町(ユマチ)の行政および薩摩藩在番奉行所(さつまさんざいばんぶぎょうしょ)との接渉(せっしょう)、唐船(とうせん)・櫂船(かいせん)・旅役(たびやく)などの事務を管掌(かんしょう)した首里王府の役所跡。長官は那覇里主、下役には那覇大筆者(ウフひっしゃ)、脇筆者(ワチひっしゃ)がいる。那覇里主は、古琉球期、親見世(おやみせ)の長たる御物城(おものぐすく)職とともに王国の対外窓口たる那覇の港、町の管理にあたっていた。近世期においても基本的役割は変わらなかったが、任職者は首里の上級士族に限定され、王府中枢(ちゅうすう)役人の出世コースの一職となった。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館