観光スポット

金城橋と識名平

史跡歴史

金城町石畳道から識名へ渡るため、安里川にかけられた。はじめは木造だったが、大洪水で流されたので1677年に石橋に造り変えた。修理の記録を1810年「重修金城橋碑」(ジュウシュウカナグスクバシヒ)として建てたが、戦争で破壊され、ほとんど現物は残っていない。(再現した碑横にある。)橋も新しく作りかえられたもの。識名坂の遺念火は、生むつまじい夫婦がいた。妻が豆腐を首里池端町まで売りに出かけ、いつも帰りが遅くなるので夫がたいまつを持って迎えに行っていたが、ある日男に妻が乱暴され、金城橋から身を投げた。何もしらないで待つ夫に妻の死の知らせが届き、悲嘆にくれた夫も後を追い橋から身を投げた。その後2人の遺念が残り、迎えの時刻になると遺念火が出る様になつたという話。

基本情報

フリガナ
カナグスクバシとシチナンダ
所在地
902-0071 沖縄県那覇市繁多川4-20 付近
営業時間
特になし
休日
特になし
料金
無料
駐車場
なし
アクセス
那覇空港から「ゆいレール」に乗車。首里駅で下車徒歩21分。路線バス(4番15番)石畳前バス停下車徒歩1分。
(識名坂は赤く舗装された一般道になっている)

付随情報

学術的詳細
金城橋(カナグスクバシ)は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋である。橋の創建年は不明。1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文(カナグスクバシひぶん)」建立)が、1809年の洪水により損壊。翌年元の位置から少し下流に移し再建され、橋の南側に「重修金城橋碑文(じゅうしゅうカナグスクバシひぶん)」の碑が建立された。1945年の沖縄戦により橋も碑も破壊されたが、現在残っている碑の残欠は、1985年橋改修の際に、橋の北側に移設されたものである。
 識名平(シチナンダ)は、金城橋から識名に至る坂のことで、呼称は方言の「シチナノヒラ」が転訛(てんか)して「シチナンダ」となり、さらに坂の意味を加え「シチナンダビラ」ともいう。かつては松並木の続く石畳の坂道で、王家の別邸「識名園(しきなえん)」に通じ、また、首里から島尻方面に至る幹線道路の一部でもあった。
 その他、この付近は、かつて金城川を遡って船の往来があった頃、宮古の人々が、海上安全を祈願して川岸の洞くつに魚の形を刻んだという伝承から「魚先原(イユサチバル)」という地名や、川に身を投げた夫婦の怨念が人魂となって、坂の上から川岸まで漂うという「識名平の遺念火(シチナンダヌイネンビー)」の伝承が残っている。
情報引用元
歴史散策マップ真和志まーい、かいせつ編、那覇市歴史博物館