観光スポット

尚徳王御陵跡

史跡

那覇市の寄宮方面から識名に上り、識名交差点の手前、識名公民館ホールの隣に位置する、高さ約2メートル×奥行き約10メートルの大きな石碑が「尚徳王御陵跡」である。
尚徳王は1441年、尚泰久王の第三王子として生まれ、第二婦人の子でありながら嫡子を退け王位に即位。1460年から1469年まで在位したが、金丸(後の第二尚氏:尚円王)の蜂起により王座を奪われたため、第一尚氏は尚徳王で終わりを告げる事となった。
尚徳王はその短い在位期間の中で、明国に進貢し冊封を受け、朝鮮に使者を派遣し、足利将軍にも進貢し、日本、朝鮮、マラッカ、シャムなどとの交易を拡大させたり、琉球三大寺の一つ、天界寺に大宝殿を建設したり、朝鮮王から「方冊蔵経」を賜わったり、中国から暦学を導入したり、自ら2000の兵を率い喜界島に遠征し領土を拡大するなど、特に海外との関わりを中心に積極的に事業を行った。
1469年、29歳という若さで薨去。神号「八幡之按司」。その死因は、自分が留守にしている首里での金丸即位を聞いての自害とされている。
尚徳王の人柄については、金丸の蜂起があり、第二尚氏時代以降のに書かれた「中山世鑑、中山世譜、球陽」等の文献でしかみる事ができないため、金丸を正当化する内容が多く、相対的に尚徳王については「若く、気性の激しい性格」といった表現が多く、あまり良い人柄とは伝えられていないが、その正否は定かではない。
ただ、尚徳王の父、尚泰久王に引き立てられ側近にまで上り詰め、円熟した大人であった金丸と、その後王座を継いだ若い尚徳王との関係は良好でなかったであろう事と、隠遁生活を送っていた金丸を王とするクーデターが成立した点からみても、側近に敬愛されていた王とは言い難かったのではないかと推測される。
ちなみに尚徳王の墓が識名に建てられた理由として、尚徳の養育役であった安謝名(アジャナ)が識名・上間地区の支配者であったためだと言われている。

基本情報

フリガナ
ショウトクオウゴリョウアト
所在地
902-0078 沖縄県那覇市識名3-19-12 付近
営業時間
特になし
休日
特になし
料金
無料
駐車場
なし
アクセス
ゆいレール安里駅から車で約8分